鵜飼悊生 ー 森番フォトギャラリー

墨人関西展 2011年4月26日~5月1日 京都市立文化芸術会館2階

「凛」 70×44  クリックして拡大  某党幹部所蔵
「凛」 70×44  クリックして拡大  某党幹部所蔵

 

作品について自分でやたらと解説するのは野暮なことだと思います。

観る人の邪魔になることのほうが多いでしょう。その危険をわかったうえで、敢えてコメントしたいこともあります。

 

日本人はかくも劣化したかと思うくらいに平和ボケした昨今(30年ほど前から言われているような?現代は平和ボケが窮まったか?)。具体的には控えますが、権利の主張ばかり幅を利かせて表裏を形成する義務という意識が希薄ではないでしょうか。いえ、そんな社会的な規範を持ち出すまでもなく肌感覚で劣化しているように思えてなりません。言葉、行動に 重み のかからない人が増えたように思います。

 

凛とした行動、凛とした生き方、凛とした組織、凛とした国。自己反省とともに考えたことです。尊敬する代議士に貰っていただいた。

 

 

 この作品、筆の割れるのも厭わず一貫して書いた。それほど荒くなっていないと思う。自分の中ではエポックとなる作品なので少し古いが掲載しました。

 


第103回 墨人東京展 2013年4月25日から30日 東京都美術館

 

 

 

 

国歌「君が代」から取材している。文化、教育、外交、経済と何をとっても危機的状況の日本国のいやさかを祈らずにはいられない。

 

何回か書いた文字ですが、なかなか満足できる作品を得られなかった。今回ももちろん不満は残るが、比較的うちの想いがストレートに紙に定着した感をもっています。作品としてはやや平凡でしょうが、ここから何か変わる燭光を得る思いのする作品となりました。

 

「巌」  140×90 クリックして拡大
「巌」  140×90 クリックして拡大

第104回 墨人京都展 2013年9月17日から22日 京都市美術館

「灰頭土面」  70×270クリックして拡大
「灰頭土面」  70×270クリックして拡大

灰頭土面(かいとうどめん) 頭に灰をかぶり、顔に土をつけて人のためにはたらくというくらいの意味。禅語です。

灰頭は自分でもある程度納得できたが、土面がとんでもなく酷かったので、後から二本の線で消しました。

書は文字を場として成立する、と師の森田子龍は言った。その意味でこの線で文字を消したことに忸怩たるものがあります。一方で書は造形面でも見て語られます。この作品は後ろの二文字を消すことで造形としては成功したように思っています。  

 

評価は見る人に任せようと、ある意味開き直って出品しました。ただ、このようなものをスタイルとすることは決してしないと自戒しています。

 

第105回 墨人東京展 2014年4月25日から30日 東京都美術館

「滴凍」 140×90  クリックして拡大
「滴凍」 140×90  クリックして拡大

 

 

滴凍(てきとう) ポタリポタリと落ちる滴が一滴一滴瞬時に凍っていく。正念相続を言った言葉と理解しています。禅語です。

 

素晴らしい言葉で、完全に言葉に負けています。ずいぶんつまらない作品を書いたものだと恥ずかしく思います。ただ、そのようなものも隠さず見てもらうことで少しでも理解の足しになればそれも良いかなと恥を忍んで載せます。

 

では何がダメか?ご覧いただく方によって多少の陰影はあるにせよ、まずスタイルが目につく。線をゆるがせにしないのは当たり前ですが、そっちの配慮に多く気をとられ元々のパッションが見えない。何か取り繕った嫌味なもので被われている。靴の上から足を掻いているもどかしさにどこか似ている。赤心が見えない。もうこれくらいにしたいと思います。捲土重来を期します。


第106回 墨人京都展 2014年9月2日から7日 京都市美術館

「挙」 180×140  クリックして拡大
「挙」 180×140  クリックして拡大
「解」 180×140  クリックして拡大
「解」 180×140  クリックして拡大

今回の展覧会には2点出品した。2点出すことにより僅かであるにせよ作家の面差しの彫が深くなるのではないかとの願いである。

2点とも今夏の墨人会合宿、東京郊外の霊場高尾で書いたもので、

そのあと書く機会を得て70枚ほど書いたがまったく徒労に終わった。この大きさになると集中を欠くと見紛うことなくはっきり表れる

「挙」は4画目から左へ払う筆はかなり厚みを持ちながら払うことが出来た。その勢いのまま右に移りたかったが少し固まったようだ。この時紙がめくれ上がり、それを直しながら手の部分を書いたため、異質な重いものを残してしまった。

「解」は気持ちよく解けよ!とばかりに気持ちを高く柔らかく広やかに書いた。こうしてみると何ということもない。旁の下から上に上がる線に自分としては思わぬ手ごたえがあった。

 

 

   森のオアシス
   森のオアシス

第7回 書の森展 2014年10月16日から19日 京都府文化博物館


「滴凍」 140×60 クリックして拡大

「不可説不可説轉」 140×60 クリックして拡大


前回の反省を踏まえてかなり枚数を書いたが、どうも煮詰まってきて本来の狙いが雲散霧消して所謂  知 の勝った、なんとも小さく情けないものになった。私はまだこの文字に許されていないのかもしれないと思いだした。

ネットを見ていたら無量大数の彼方へというサイトを見つけた。数の単位。億、兆、京・・・無量大数。とここまでで終わりだとずっと思っていたものが、さらにその先に概念としての単位があったとは率直に驚きで感動した。まだまだ書きはじめの生っぽさを残している。もっと追い詰めなければこの概念には到底近づけないと思う。


第47回墨人関西展 2015年3月31日から4月5日 京都府立文化芸術会館

 

 

「滴凍」 140×60 クリックして拡大

 

再度この文字に挑戦した。少しだけ自分の中の滴凍に近づけたかとは思うが、まだまだ意図がむき出しで筆で何とかしようとしている。もちろん筆で何とかするのであるが、自分と離れたところで筆が使われている。私と筆が一体になって紙の上に生きていない。

 

何か小難しい話になるが、こちら側に主体があって向こう側に客体があるのではない。主体、客体を外したところに現前する世界こそ信じるに値する。

 

耳に見て眼に聞くならば疑わじおのずからなる軒の玉水

 

第107回 墨人東京展 2015年4月25日から30日 東京都美術館

「断」140×180 クリックして拡大

 

人生長く生きて来てほんの少し回りが見えだしてくると何とも鬱陶しい世界に囲まれていることに気が付くこともある。お金、おべんちゃらで何とかなる世界、自分勝手なイデオロギーを振り回して人を巻き込もうとする世界、表面上のヒューマニズムを装って人を謀る世界、そんな似非世界を根元から断ちたい。

この作品、もっと底から図太く動かなければ身動きできなくなるは必定。

 

 

第8回 書の森展 2015年10月11日から18日 知恩院和順会館

 

「滴凍」125×35 クリックして拡大

 

今回で4回目の作品制作。自分としてはかなり納得いく作品となった。6月の段階で出来た作品で、展覧会まで眺めて色褪せなければ出そうと考えた作品。二文字のうち 凍 字に、より筆の自然さを得られたように思う。

7日間の展示期間を終え、最終の研究会でもお話したことだが、この作品はこれで一応の納得はする。しかし、この作品は音楽でたとえて言うならピアノソナタのような、自然になぞらえるなら浅瀬のせせらぎのような世界である。その点に不満は残る。これからはバッハのブランデンブルクのような、また大河のような巨大な力を蔵した世界を手に入れたいと願う。

第48回 墨人関西展 2016年6月7日から12日 京都府立文化芸術会館

  

 

「心」70×60 クリックして拡大

 

現在92歳になる母親が腰椎の圧迫骨折で四月の終わりから入院している。見舞いに行き、その都度他愛もない話をするわけだが、日によっては薬のせいもあるのか、意思の疎通がほとんどとれない状態のときもままある。この母親と心を通わせることがこれから先どのくらいの時間が残されているのかと考え、今まではついぞ書こうともしなかった文字であるが、一気に心の赴くままに書きあげた。と普通はそうなるだろうが、たった4画の文字ながら途中でまったく書けなくなり結果的にはかなりの枚数を費やすことになった。

 

この作品については概ね好評を頂戴した。

本人のコメントは敢えて控えます。どうかご本人の観賞眼でご判断ください。

 

 

第109回 墨人京都展 2016年9月20日から25日  京都市美術館


「草莽崛起」 140×360   クリックして拡大

 

吉田松陰の言葉から。幕末、今まで政(まつりごと)には縁のなかった下級武士や草の根の一般民衆が立ち上がって明治維新を成し遂げていく。地の底からうねるようなパッションと覚醒が現代社会にも必要ではないでしょうか。紙面の上部を大きく開けてそのような気持ちを表してみたかった。熱に任せて一気呵成に書いた5枚目くらいの作品。この後30枚ほど追求したがすでにその熱は逃げていた。

第49回 墨人関西展 2017年5月9日~14日 京都府立文化芸術会館

「坤」 50×60 クリックして拡大

 

去年の秋に書いた作品。これだけ寝かして出品するのは初めて。去年は旁部の小ささとタテの起筆のだらしなさと揺れが嫌で出し切れなかったが、今年見直してみてさほど気にならなくなり出品した。このように見る眼も変わるものだということ。良くなったか悪くなったかは定かではない?


「疎」 90×70 クリックして拡大

 

かなり筆の粗い仕事をした。筆のはたらきもほとんど見えない。これが狙いではなくこの奥に眠って未だ顕現していない世界を見たい、出したいと願って筆の粗さも厭わず押しに押して行った。そういう意味で自分では非常に納得いく作品となった。しかしながら物事にはそれでは収まらない世界(観賞者と交流する世界)もあるし、私なりに自覚も出来ているので次の課題としたい。

これらの作品以前はこちら→ 森番の仕事B1へ

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