第1の森(臨書)へようこそ!

   ここで採りあげている古典 

 

     始平公造像記

      牛橛造像記

      建中告身帖

     

      賀蘭汗造像記

      北海王元詳造像記

      薦季直表


「書」を学ぶにあたって臨書はとても大事です。 

 

臨書とは立派な古典や名筆を見て習い書くことですが、その表面的な字姿を真似るだけではいつまでも勉強は深まりませんし、その形に囚われてしまい不自由の種を蒔くことにもなりかねません。

 

長い歴史に淘汰されてきた古典と言われるものには必ずよいところがありますので、何回も何回も倦むことなく見て書くことによって表面的な形の奥にある筆のはたらきや、息づかい、また書き手の自由さ、大きさ、偉さまで見てゆくことができます。そして、それらを内から掴んで筆に託して書くのが本当の臨書だと言えます。

 

 このような勉強をしてゆきますと臨書に限らず、個々の作品の良し悪しも自分なりに分かってくるようになります。なぜならば筆のはたらきを蔑ろにしたよい作品はあり得ないからです。だからと言っていろいろな古典の良いところばかりを集めても(実際は不可能)良い書にはなりません。なぜならば作品とは、他ならない私自身が書くものであるからです。

 

その書く私はたくさんの古典や名筆を見て書いてきた、また現代でいろいろな思索や経験を経てきた、言わば「歴史的な私」であります。その「私」がいのちを燃やし筆とひとつになって書くとき、真の「書」は生まれるのだと思います。

   ここでは初学の人はもとより、ベテランも一度原点に戻ることをお勧めしています。何か新しいものを容れるとき、あるいは迷いに閉じ込められたときなどは一度原点(ゼロ)まで戻ることだと思います。私も事あるごとにこの造像記や建中告身帖に戻ってリフレッシュします。

   第1の森第2の森で学んでゆく古典の階梯(並び)は、私の師森田子龍が書作の上で極力的な研鑽と追究の末に摑まれ提唱されたものをペースに書の森としてアレンジしたものです。安心して邁進してください。 

 

※森田子龍1912年兵庫県豊岡市に生まれ、若くして書に志し、上田桑鳩に師事、1951年雑誌「墨美」を創刊。1952年墨人会を創立。現代書の創出と書の美学の確立に大きな業績を残しました。

 

造像記(ぞうぞうき)

これは筆で書いたものではありません。ではどういうものなのでしょうか?ご存知の方もあると思いますが、少しだけ説明します。中国で5世紀から6世紀にかかるころ、北方民族(北魏)の興隆期、仏教信仰が最盛期を迎えた時期に洛陽の南部伊水両岸の石灰岩山肌に洞窟を二千あまりも穿ち、そこに巨大な仏像を刻みつけ、その仏像の傍らに造像のいわれを刻みつけた、これが造像記です。詳しくは専門書に譲ります。 

始平公造像記(しへいこうぞうぞうき)

 始平公造像記は珍しい陽刻(文字を浮き出させて彫ってある)です。まずはお手元に届いている古典カード(入会時に送付)

をじっくり見て、感じたまま思い切って半紙一杯に一文字を書いてください。

 20、30枚も書いてこれはと思う臨書を残してください。その臨書と原帖(古典)、私の臨書と動画も参考にしながらじっくり見比べてみてください・・・どうでしょうか。どこがどういうのかわからないが原帖(古典)より弱々しいかなと か、バラバラに見えると感じたらそれがあなたの課題です。自分で見つけることができたらひとつ新しい眼が開けたと言うことです。ここからが始まりです。どうもよくわからないなあ、とおっしゃる方も心配要りません。しばらくは格闘してみてください。そしてできた臨書を郵送していただいても結構ですし、画像を送ってもらっても結構です(未入会の方も大歓迎)。あなたの現状を知らせてください。

 


 

森番 参考臨書

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「皇」  クリックして拡大
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 「石」  クリックして拡大
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 「答」 クリックして拡大
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 「有」  クリックで拡大
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如何でしょうか。かなりの力で向かっています。最初は筆がへしゃげることばかりでしょう、でもそこで筆に妥協したらへなちょこのやせっぽちの字になってしまいます。

  起筆のシャープな形は鑿で彫ったためのものですが、それを筆を使って原本を忠実に真似ようというのではありません。起筆の鋭さを勉強しているのです。そして切っ先鋭く入った筆を力が逃げないように胴で推していくのです。何度か試していただくとわかるでしょうが、漫然と筆を入れたらこのような鋭角にはならず、ぼてっと重たいものになります。そして胴の張りも得られずへしゃげてしまうのです。筆を持ったときの気力を養うのに最適の古典だとも言えます。

 あごを引いて背筋を立てて、下腹に力を入れて腕や手首は柔らかく。何枚も何枚も挫けないで書いてください。

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 「造」  クリックして拡大
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牛橛造像記(ぎゅうけつぞうぞうき)

 牛橛造像記は石窟における記年のある造像記のなかでは最古のものです。始平公造像記と同じように、お手元に届いている古典カードをじっくり見て、感じたまま思い切って半紙一杯に一文字を書いてください。

 20、30枚も書いてこれはと思う臨書を残してください。その臨書と原帖(古典)、私の臨書と動画も参考にしながらじっくり見比べてみてください・・・・・ どうでしょうか。


 

森番 参考臨書

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 「一月」  クリックして拡大
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 この古典は龍門の中では一番古く、また造像記の書法を代表するものとして推称されています。とはいっても決して技巧が表にむき出しになっているわけではありません。

 

 ここではあまり学術的なことは詮索せず、始平公造像記と同じようにまずはしっかりと原帖をみて自らの身体に溜まり込む力を感じたら、全力で向かっていくことが大事です。

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 「无=無」  クリックして拡大
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                                       牛橛造像記の推敲へ

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好みに応じてほかの造像記を勉強するのもよいことです。あと少し参考臨書を掲載しておきます。

 

賀蘭汗造像記    北海王元詳造像記

建中告身帖(けんちゅうこくしんじょう)

 中国 唐 時代の顔真卿の書です。唐なら欧陽詢の九成宮とか虞世南の孔子廟堂の碑じゃないの?といわれる方も多いでしょう。

 この建中告身帖は何となく変な字姿(蚕頭燕尾:頭が丸く、尻尾がツバメのように割れている)に見えてとっつき難いと思われるかも知れません。何故これを書の森の第1に据えるのか、詳しくは後に譲るとしてとにかく下駄をあずけるつもりで書いてみてください。ヒントとして墨は少し濃くして、たっぷりと筆に含ませ筆の弾力を生かして書いてください。これも古典カードをじっくり見て、感じたまま思い切って半紙一杯に一文字を書いてください。

 20、30枚も書いてこれはと思う臨書を残してください。その臨書と原帖(古典)、私の臨書と動画も参考にしながらじっくり見比べてみてください・・・・・ どうでしょうか。


 

森番 参考臨書

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この古典がたいそう立派だと思うのは、いつ見ても瑞々しく、力が漲っていて見ているこちらの身体にも力が漲って来るところでしょうか。大好きな古典です。

 

 筆と紙の間の弾力、書く自分の心の弾み。これも真正面から取り組めばきっとさまざまに大切な気づきをくれる第一級の古典です。

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                                        建中告身帖の推敲

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半切に書く (森田子龍)

 

 半紙に一字だけ書くときとちがう点は、一字だけ書いて、できたと安心してその緊張を解いてはいられないことである。その同じ緊張の中ですぐ次の文字を書かないと、文字の続き具合ががたがたして切れ切れになってしまうからである。さらには、一字書きぬいたあとに余力をのこして、次の文字を前の呼吸の連続の中で呼吸を乱すことなく書きついでゆけなければならぬ。それができないと、一幅の空気はがたがたざわざわとして落着かない。力を込めて書いて、しかも一幅の空気が静かに落着いていることこそ、作品の最も重要なところであり生命である。

 そのためには、全体を書きぬくなかで、自分が動揺することなく、呼吸も平静であることが大切である。

 全体を平静に書きぬくことの方に重点をおくと部分がお留守になりやすい。つまり各点画の筆がぞんざいになって力も不十分なものになる。逆に、部分に重点をおいて、用筆法や力などにとらわれると、それにふり廻されて自分の平静さをかき乱されてしまう。それでは作品の生命である静かな落着きは得られない。

 部分もゆるがせにはできない。しかし全体の平静さは作品の生命ともいうべく、どちらも大切であって、ともに万全を尽くして両立していなければならぬ。しかしこのことは前述のように至難のわざである。

 部分と全体。この二つのことの両立、同時成立への勉強、それが作品づくりの中味だといっていいと思う。

 「誰でも出せて誰にも出せない書展」 クリックして拡大
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 「力乃稽古」 クリックして拡大
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 造像記によって、今までの書の固定観念や習い癖などを粉砕することをやってきました。同じように思い切って書ける古典として建中告身帖を採りあげました。造像記とは趣を異にした豊かな線、弾力を感じ取っておられると思います。もうひとつ、豊かな弾力をもって素朴で魅力のある古典を紹介します。 中国は三世紀、三国時代・魏の 薦季直表 鍾繇(しょうよう)書です。 

 

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