第2の森(臨書)へようこそ!

第1の森ではとにかく 線をしっかり書く ということを中心に筆を圧しに圧してきました。その効用として、ひょっとして今までに知らず知らずにいた手の癖や、気持ちの硬さを粉砕あるいはほぐして来たのでした。基礎的な準備が出来たところでこの第2の森では、褚遂良の雁塔聖教序、枯樹賦、光明皇后臨 楽毅論空海の灌頂記太宗皇帝の温泉銘王羲之の蘭亭序を採りあげようと思います。古典カードをじっくり見て、今までの勉強、第1の森での勉強で実際に筆で書いてみたからこそ感じることはあると思います。それは筆のはたらき、手の動きを中心に追体験しているのかもしれません。同じ書なのにいろいろな個性があるのだなあと気付かれることもあるでしょう。いずれにしても古典を見る目は確実に深まっているはずです。

そこで第2の森では 書の魅力に目をひらく をメインテーマとして進めてゆきます。ひとつひとつの古典に特徴的な要素、筆のはたらきの解説、臨書で注意して欲しいポイントなどを挙げていますが、第一級の古典には底を貫くひとつの筆法があり、それは古法と呼ばれています。便宜上、古典ごとに煩わしく重複しないように書き分けておりますが、本来は重層的に入り組んでいるものであることをわかっておいてください。

  

雁塔聖教序 (がんとうしょうぎょうじょ)

中国唐の時代、褚遂良58歳(楷書)

 古人はこれを評して「清勁絶倫、天馬の空を駆けるが如し」あるいは横画の長く超妙なのを「千里の陣雲を見る如し」などと賞賛を惜しまない。この古典は比較的細い線が多いですが、決して単純に細く弱々しいだけではありません。日常でも、よく深みのある色、質感のある生地、存在感のある役者など目に見える範囲はもちろん、それを超えて感じる感覚を指し示す言葉がありますが、この古典はまさにただ細いだけじゃない、ひびき高く密度濃く存在感があると言うべきでしょう。ではそのような存在感(力)はどこから出てくるのでしょうか?臨書で注意して欲しいポイントを大きく分けて3つ挙げておきます。動画もこの点に注意してよくご覧下さい。

1.細いが大きな圧力で書かれている。同時に大きな引き上げる力がはたらいている。抑える力と引き上げる力がひとつになってはたらくことで線の密度が出る

2.刻々に筆を推し進める力と同時に推しもどす力がはたらいている。推し進む力と推しもどす力がひとつになってはたらくことで充実した線が出る。力のありようは1.と関連している。

3.筆のはたらきは決して一本調子ではない。刻々に紙背を突き抜けるように筆が(特に鋒先)がはたらいている。肘を中心にした腕の自然な動きによる。俗に筆の軸をまっすぐ立てて手首を固定して、筆の上にお猪口を乗せても落ちないようにと言われることがありますが、そのような不自然な筆使いでは話になりません。筆が右に進めば掌が仰ぎ、左へ進めば掌が俯く。いわゆる俯仰法と言われますが、俯仰法と言ってしまうとその言葉、用法だけが一人歩きする危険性がありますので肘を中心にした腕の自然な動きと言っておきます。


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しばらく書かれてみていかがでしょうか。かなり難しいと感じられませんでしたか。古典の形だけを見るのではなく、その形の奥にある 躍動するいのち を見るのですから古典に簡単、難しいの差は付けがたいのですが、一般的な見方で言えば難しく映るのもわかる気がします。

 

 初めからうまく書こうと思わず、ご自分の目に強烈に入ってきたものを中心に書いてみてください。そして出来たものをしばらく壁に貼って古典と比べて部分的にでも実現できたか確認してください。このしばらく見るというのが大事です。初めに見たときの印象と大概は変容してくると思います。それはひとつ目が開けたということです。書くことが楽しいというのはこういうことではないかと思います。

 


 

枯樹賦 (こじゅふ)

褚遂良35歳(行書)

 先に採りあげた雁塔聖教序の線と似ているといわれる。同一人物が書いたとされるのだから似ているのはあたりまえですが、表面的ないわゆる筆癖と言うようなものではなく、筆のはたらきの重要な点で相通じるものがあることを見逃さないようにしたい。枯樹賦は行書であるため、線の角度は千変萬化、あらゆる方向に進み、鋒先もあらゆる角度に現れる。これを古来、筆のはたらきの極致として八面出鋒と言われる。もちろん行書であれば必ず具わるものではなく、遂良の大力量を知るべきである。また変化に富むだけでなく、雁塔聖教序のところでも見たように、精妙な筆の力が働いているので、筆がじんわりと紙を噛んで(注①)鋒先は生きて鮮やかに現れている。

 それでは臨書で注意して欲しいポイントを挙げておきます。

1.気脈一貫。 私達は書かれている線にのみ目を奪われがちであるけれども、ここでは肘を中心に腕の自然な動きで実線、虚画(線として書かれていない動き)の区別なく同じ力で貫き通すということを意識して書いてください。

2.筆の角度、筆の開闔(開くことと閉じること)注②、③を掌で実感できるように工夫して書いて下さい。

 

 


注① 筆が紙を噛む:かなり感覚的な言葉ですが、筆は進行方向に向かって後から鋒先がついてくるような形(いわゆる、引っぱるということ)になると紙との接触面に何の抵抗も生まれません。そのように使うのではなく、鋒先がいつもすこし先にゆくように、紙を突いてゆくように書くことにより、紙との心地よい抵抗感が生まれる。私はこのようなことを筆が紙を噛むという言葉で表わしています。私の恩師、森田子龍はここらあたりの筆使いのコツを「筆というものはようやく歩き始めた子の手を取って、歩かせるようなものだ。大人が肘を支点として支えてやって子供を少し前に歩かせるようにしてやるとうまくゆく」と形容されました。

注② 筆の角度:これは雁塔聖教序のところで述べましたが、筆の軸をまっすぐ立てて手首を固定してしまうような書きかたでは筆の角度は出ません。筆の軸(筆管と言います)が文字を書いてゆくなかで右に倒れたり、左に倒れたり、手前に倒れたりすることにより紙との複雑な接触が得られ、味わいのある線が出ます。

注③ 筆の開闔(開くことと閉じること):筆は何万本の毛が束なって出来ています。それに墨を付けることにより墨の中のにかわ成分で筆の毛がお互い滑るように出来ています。優しく抑えてゆっくり運んでやると筆の毛は広がり、幅のある線が出来ます。今度は筆の毛を持ち揚げますと鋒先を頂点として筆の毛が収束してきます。これが筆の開闔と言えそうですが、私は納得しません。書いていくなかで連続して筆が開いたり閉じたりするにはもうひとつの要素が必ず必要になってきます。それは筆の毛の捻じれです。開いた筆を引き上げるときに、それまでの紙との接触の抵抗によって筆の毛は捻じれて強い腰を作るのです。私はこのようなことを筆が閉じるという言葉で表わしています。その捻じれた筆の毛を書いて行くなかで解いてやる。私はこのようなことを筆が開くという言葉で表わしています。したがって線の太い、細いの問題ではありません。太い線でも筆が開いていない線もあれば、細い線でも筆が開いた線もあるのです。

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 枯樹賦は折り目正しさの中にも決して力をむき出しに見せない何ともしなやかで格調の高さを感じさせます。今まであまり古典を勉強したことのない方、いわゆるお習字に慣れ親しんだ方にも優しく受け入れられるのではないでしょうか。

 そこがこの枯樹賦の真骨頂でしょうか。誰もが美しい姿形だなあと惚れ惚れするような普遍性を持ち合わせています。

 

 私はこの枯樹賦と向き合えばいつも シン とした気分になり、それから書きたいなあと言う気分に誘われます。皆さんもよく見て興趣が湧いてきたらおもむろに筆を執り存分に書いてください。


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以下同じ要領で光明皇后臨 楽毅論空海の灌頂記太宗皇帝の温泉銘王羲之の蘭亭序の解説をしていきます。それぞれクリックしてください。  トップへ

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